イスラーム写本美術研究の対象は、金銀宝石をちりばめたような華麗な彩飾頁のみに限られているわけではない。それほど人目を惹かない様々な装飾的要素も研究対象に含まれる。この講演では、南部フィリピンのミンダナオ島中部マラウィ市の、あるムスリム学者の写本コレクションをとりあげ、それらにもとづいて、東南アジアのイスラーム写本美術における文化交流の3形態を例示する。
第一に、技術的・実用的な挿図の検討を通じて、古典的イスラーム・テキストが東方の東南アジアに伝わっていたこと、ミンダナオのムスリム共同体がイスラーム学のネットワークにしっかりと繋がっていたこと、しかし彼らは、美術的要素を現地流のやりかたで創造的にとり扱おうとしていたことを明らかにする。第二に、イスラーム世界の西部で「ソロモンの印章」と呼ばれる霊験あらたかな護符の名称が東南アジアに伝わり、それがすでに東南アジアに深く根付いていた、吉兆を示す別の文様の名称として採用され広まっていく過程を跡付ける。最後に、「三尾一頭魚」という際立った特徴を持つ文様が、宗教、社会、文化の境界を越えて、驚くべき広範囲に伝わっていたことを示す。しかし、その伝達経路には未だ不明の点が残されている。このモチーフは西から東に旅したのか、東から西に旅したのか、それともいったん東から西に旅し、その後また、西から東に戻ってきたのだろうか。
これらの事例はいずれも、東南アジアのイスラーム写本にみられる文化交流が非常に多様性に富んでいたことを示している。(訳:川島緑)